二月の三角形
1 朝と友達
空は高く、澄んでいる。
至って普通のこの町にも、バレンタインはやって来る・・・
「知奈(ちな)、おはよう!」
すらりと背の高い一人の少女が、知奈という名の誰かを呼び止める。
「あ・・・千里(ちさと)。」
知奈と呼ばれた小柄な少女は立ち止まり、千里という名の少女を待つ。
千里は知奈に追いつき、もう一度おはよう、と挨拶をすると、歩きながら喋り始めた。
知奈は、自分からは殆ど喋らず、「うん・・・うん。」と相槌を打っている。
家族がどうだとか、昨日は親戚の家に行ってああだったとか、正直知奈にとってはどうでもいい話を、千里は繰り返した。
暫く喋った後、無口な知奈に気付いたのか、千里は心配そうに言った。
「どうしたの、知奈。今日、やけに静かじゃない。」
「え・・・そ、そうかな?」
「うん。普段も知奈ってそんなに騒がしい性格じゃないけど、今日は何か、特別静かだよ。」
きっぱりと、千里は言い切った。
「そう・・・かな。」
先ほどと同じ台詞を、知奈はもう一度、今度はゆっくりと繰り返した。
「何かあったの?」
千里は知奈に訊く。
「あの・・・今日バレンタインでしょ?」
だね、と千里が明るく言う。
「千里さ・・・誰かに、チョコあげる?」
「あたしぃ〜?」
千里がおどけて言った。
「まさかぁ。誰にもあげないよ。知奈は?」
「う〜ん・・・内緒!」
「うわっ、何それ!知奈の方からこの話題出したんでしょ?」
暫く二人のふざけ合いは続き、やがて知奈は千里の耳に、修也という人の名前を囁いた。
千里は一瞬、えっ、と小さく声を漏らし、固まった。
しかしそれは本当に一瞬で、千里は、そうなんだ、と短く言った。
2 教室と涙
カバンに入れたチョコレート。多分、この恋は絶対に実らないだろう、と知奈は思う。
何せ修也はモテている。大勢の女子に。
修也は女子にも男子にもとても冷たいが、モテるその理由は、やはり外見や、独特の雰囲気故だろう。
そして、修也はバレンタインのチョコレートを受け取らない。
「好きな奴のチョコしか受け取らない。」
そう言って、いつもチョコを返すという。
最も、当の知奈は、チョコを誰かにあげるのは初めてだが・・・おそらく、受け取っては貰えないだろう。
それでもあげたい。それが、知奈の正直な気持ちだ。
知奈が教室に入ると、クラスの空気は一変した。
何故かクラスの殆どが、目をそらせたり、ひそひそと話し始めた。
何が何だかわからない、という顔で立ち尽くす知奈。
知奈はクラス内で特別目立っている訳でも無ければ、かといって虐められている訳でも無い。
そんな中、ただ一人、千里だけが知奈に話し掛けた。知奈にしか聞き取れない様な、小さな声で。
「・・・知奈、大変。知奈が修也くんの事好きだって噂が広まって、優花(ゆうか)の耳に入っちゃって・・・」
「えっ・・・」
知奈は思わず叫んでいた。優花とその取り巻き数人が、ギロッと睨む。
千里は口に人差し指を当て、「しーっ!」と言うと、再び小声で話し始めた。
「ほら、優花って修也の事好きでしょ。優花と知奈ってあんまり仲良くないじゃん。だから、ムカつくって言ってた・・・」
「そんな・・・千里、言ってないよね?」
「まさか・・・あたしは、知奈の味方だよ。」
呆然とする知奈。少し迷った素振りを見せた後、千里が知奈の耳元で囁いた。
「・・・それでね、ほら、私、優花と幼馴染だから知ってるんだけど、今日・・・」
「千里ー!」
囁くのを止め、千里はバッと振り向く。
「ちょっと来てよー!」
そう呼んだのは、優花の取り巻きの一人、智美(さとみ)。
千里は、はいはーい、と軽い調子で返事をすると、優花のもとへ歩いて行った。
優花達と千里が話している様子をぼんやりと眺めながら、知奈は席についた。
コソコソと話す声を無視しようとしていても、知奈の目には、熱いものが滲んでいた。
修也は、その様子を無表情に眺めていた。
3 屋上と男の子
あたし、こんな事される覚え、無いよ――
知奈は心の中で叫んでいた。
靴は無くなる、ノートは破かれている、筆箱はゴミ箱に捨てられている――今日は知奈にとって散々な一日。
クラスメートも知奈に冷たく接した。唯一千里だけは話し掛けてくれたが、その度に優花が千里を呼び、いつも千里は行ってしまう。
今は弁当の時間。当然優花は千里を呼び、知奈はぽつんとひとりになった。クラスメートは、目を合わそうともしない。
知奈はたまらない気持ちになり、教室を抜け出してしまった。
千里が知奈を呼ぶ声がしたような気がするが、優花達のはしゃぎ声にかき消され、定かでは無い。
「は――・・・」
知奈は、今初めて安心している。この屋上なら、人が来る可能性は殆ど無い。
いつもは来ないこの屋上。空は、少しずつ曇り始めていた。
弁当包みを開くと、何かが書かれた紙が入っていた。
「・・・・・・」
それを黙って読んだ後、くしゅくしゅと丸めて、知奈は弁当を食べ始めた。
半分程食べ終えただろうか。屋上に、誰かの人影が、ゆらり、と出てきた。
知奈は驚き、反射的に人影の方を見る。小さな男の子。
顔は、涙でぐしょぐしょだった。もとは立派な洋服だったのだろうが、その服はぐちゃぐちゃに汚れていた。
「お姉ちゃん・・・」
男の子は、か細い声で言った。
もの欲しそうな顔で、弁当を見つめる男の子。
「・・・お腹、空いてるの?」
男の子は、こくん、と頷いた。
「このお弁当でいいなら・・・」
知奈は、夢見心地にそう言っていた。不思議とか、疑いとか、そういったもの以前に、この男の子が可哀想でたまらない気がするのだ。
男の子の汚れた顔は、たちまちパッと輝き、「ありがとう」と言うと、何も言わずにがつがつと食べ始めた。
その様子を、知奈は座って見ていた。
凄まじいスピードで食べ終わり、男の子は、ふぅっ、と溜息をついた。
そして知奈の顔を、ずいっと正面から見ると、再び礼を言った。案外、礼儀正しかった。
暫くは、二人とも並んで座っていた。何も喋らなかった。
ふいに、男の子が、ねぇ、と口を開いた。
「何で、お姉ちゃんはここにいるの?」
知奈は、ふっと弱い笑みを見せた。
「・・・何でだろう、ね。」
すると、心配そうに、男の子が知奈の顔を覗き込む。
「嫌なこと、あったの?」
「無いよ。・・・無い。」
まるで自分に言い聞かせているかのように、知奈は言った。
「嘘だぁ。」
男の子は、はしゃいだように言った。
「だって、ぼく、知ってるもん。お姉ちゃん、好きな人、いるでしょ?」
思いがけない言葉を聞いて、知奈は明らかに驚愕した。
そんな知奈のことはそっちのけで、男の子は話を続ける。
「もし、嫌なことされても、諦めないで。
裏切る友達は、友達じゃないから、心配しないで。
浮ついた理由で人を愛する人は、相手にしないで。
ぼくは、お姉ちゃんの味方だから・・・」
そう話す男の子は、幼児のそれでは無かった。
一方の知奈は、言いたいことが山ほどあるのに、驚きで声も出せないでいる。
いつの間にか、男の子の洋服は、新品の様に綺麗になっていた。
「頑張って。」
その一言を残し、男の子はふいに消えた。
知奈は、その場に唖然と座っていた。
今のは白昼夢だったのか――現実的に考えて、あんなこと――
しかし、知奈が食すはずであった弁当は、空っぽだった。
知奈は、ふぅ――と深く溜息をついた。そして、記憶を整理し始めた。
4 裏庭と想い人
知奈は、休み時間、千里にこの体験をかいつまんで話した。
普通、誰も信じないような話を、千里を信じているからこそ知奈は話した。
千里は、時折相槌を打ちながら、真剣に聞いていた。
しかし、知奈が話し終わり、少しの沈黙が流れると――
「・・・あっ、あたし、ちょっと用事があるんだった。ゴメンっ、又ね!」
そう言って、千里は教室を出て行ってしまった。
知奈は、教室を見回した。
隅っこでぺちゃくちゃと喋っている女子。
椅子に座って何かをこちゃこちゃとやってる男子、二人。
読書している女子、数人。
そして――椅子に座っている修也が、知奈をじっと見ていた。
修也と目が合って、知奈は目をそらそうと思ったが、何故かそらせなかった。
知奈は真っ赤になって、時間の感覚が無くなっていった。
一秒だったのだろうか、一分だったのだろうか、五分だったのだろうか。
二人の、不思議な見つめ合いが続く。
ふいに、修也ががたんと席を立った。
「あ・・・」
知奈は、声にならない声を出した。
修也は教室のドアへ向かう。しかし、ふっと知奈の方を振り向くと――
「何ボケっとつっ立ってんだよ。早く付いて来い。」
「・・・はぁ?」
思いがけない言葉に、知奈は思わず、間の抜けた声を出してしまった。
しかし、それ以上修也は何も言わない。
その無言の迫力と、「嫌われたくない」という思いから、知奈は訳のわからないまま、修也に付いていくしか無かった。
修也と知奈が辿り付いた場所は、人気の無い、しんとした裏庭だった。
足を止めるなり、修也は無表情に、知奈に向かって手を出した。
意味がわからず、ぼぅっとしている知奈を見ると、修也は少し焦り気味に言った。
「さっさと出せよ。渡すもん、あるだろ。」
知奈は、え・・・、と短く言った。
「だから・・・あれだ、あれ。」
相変わらず呆けた顔をして、知奈は修也を見ている。
修也は更に焦り気味に言った。
「今日・・・2月だろ。」
「うん。」
知奈が短く相槌を打つ。
「2月っていえば・・・ほら・・・その・・・」
修也は既に真っ赤だ。先ほどの知奈よりも。
その瞬間、知奈の頭の中には、あるものがパッと思い浮かんだ。
まさか、と思いつつも、知奈はそれを言葉にした。
「もしかして・・・チョコ、貰いたいの?」
修也はサッと顔をそらした。しかし、今だに手は伸ばしたままだ。
「だから、貰ってやるって言ってんだよ。さっさと出せ。」
その姿が、今までの修也のイメージと全く違っていて、知奈は面白くなってきた。
知奈は、カバンに入れておいたチョコレートを、さっと出した。
そのチョコレートを見た瞬間、少しながら顔を輝かせた修也。
「やっぱり、俺に貰って欲しかったんじゃねえか。貰ってやるよ。」
「違うよ。あたしがあげてあげるの。」
「俺が貰ってやるんだ。」
「あげてあげるの!」
「貰ってやるって言ってんだろ!」
知奈は、ぷっと吹き出してしまった。それがスイッチとなり、笑いは止まらない。
修也も又、知奈を真っ直ぐと見据え、笑い始めた。
笑いが収まると、知奈は笑顔のまま、修也にチョコレートを渡した。
修也はぶっきらぼうにそれを受け取ると、恥ずかしそうに「放課後、ここで待ってろよ」と言い、校舎へ戻って行った。
修也の後姿を見ながら、知奈の心には嬉しい気分と信じられない気分が混ざっていた。
あの冷たい修也が、こんな一面を持っていたなんて――知奈は再び、笑いがこみ上げて来た。
そうだ。千里に話そう。千里なら、一緒に悦んでくれるはずだ――
知奈はそう考え、軽いカバンを抱えて校舎に戻った。
5 チョコと放課後
浮かれた知奈の気持ちは、しかし、教室に戻ると、沈んだ。
優花達は、修也の事が好きなのだ――この問題を、解決しなければならない。
修也は、知らん振りで寝ている。先ほどの出来事など、夢だったかのように感じる。
そんな微妙な気分のまま、休み時間は終わり、授業は始まり、終わり――あっという間に放課後になった。
「知奈〜、帰ろ!今日、ちょっと用事あるんだけど、いい?」
千里は、知奈を明るく誘った。
「あ・・・あたしも用事あるから、教室で待ち合わせしよ。」
そっか、じゃ、後でね、と明るく言うと、千里は教室を出て行った。
教室に、既に修也の姿は無い――しかし、あそこに居るはずだ。裏庭に・・・
「あのっ・・・」
裏庭から聞こえてきた声に、知奈はびくっと体を震わせた。
その声の主は、すぐにわかった。甲高いこの声――優花。
その他にも、優花の仲間の智美達がいる。その中には、千里もいた。
知奈は、反射的に適当な物陰に身を隠した。
「好きです・・・付き合って下さい!」
相手――修也は、無表情に、優花の渡したチョコを返した。
優花の手がすべり、チョコは地面に落ち――ぱりん、と音をたてて砕けた。
「あ・・・」
呆然と、優花は立っていた。
「・・・・・・告白するなら、一人で来い。」
その修也は、冷たいままの修也だった。
優花は、うわぁぁぁ・・・と泣き声をあげ、崩れ落ちた。智美がそれをなだめる。
「千里、行こう?」
智美が言った。が、千里は、「砕けたチョコ、片付けてから行くよ。」と、それを断った。
それを疑う様子も無く、智美達は優花を連れ、裏庭を去った。
裏庭には、千里と修也、物陰に隠れた知奈だけが残された――
6 真実と裏切り
冷たい風が、ひゅぅっと吹き抜ける。
「あ、あの・・・」
千里は目をキョロキョロさせながら言った。
「これ・・・」
チョコレートを差し出す千里。修也は、そのチョコを無表情に見た。
「・・・千里、だっけ。」
「あ・・・はい。」
千里は目をキラキラさせながら修也を見る。
「お前・・・今日の弁当の時間、優花とかって奴等に、知奈のこと言ってただろ。」
「えぇ?」
びくっとしたように震え、それでも尚平静な千里。
「それで、優花に『あんなブスが恋実る訳ないよねー』『優花、告っちゃいなよ!』とか、そそのかしてたよな。」
「え・・・え・・・?」
キョトキョトとする千里。落ち着きが無い。
修也は言葉を続ける。
「それなのに、優花の悪い噂を流して――俺は聞いてたぜ。お前の魂胆、バレバレだ。」
「・・・」
千里は無言になった。顔は、青ざめている。
「・・・・・・そうまでして、俺に想って欲しいか?」
千里は尚も無言だ。
「友達を裏切って・・・傷つけて・・・俺に想って欲しいか?」
「そうよ!」
急に、千里が叫んだ。
「あたしは・・・あんたのことが好き。とっても。
それなのに、誰もあたしの気持ちに気付かないで、ぬけぬけと『修也が好き』なんて言って・・・
大体、あたしは優花も知奈も嫌いなの。だから、傷つけてやろうと思ったのよ・・・」
千里は、恐ろしい笑顔を見せた。
「もう少しで、全て上手くいくのよ。そう、あんたがあたしのことを好きになれば。
知ってると思うけど、あたしは令嬢よ。あの竜産グループの。
今ここであたしの事を好きになったら、あんたのことを婚約者候補として紹介してあげ」
パン、と音がはじけた。修也が、千里を叩いた音だった。
その音と同時に、知奈はバッと物陰から身を出した。
知奈の目には、涙が滲んでいた。裏切られていたことを、ハッキリと悟った瞬間に流した涙だった。
「・・・知奈。」
「・・・千里・・・・・・」
知奈は、涙を流しながらも千里の名を呼んだ。
なかなか一言が言い出せず、しんとした空気が張り詰めた。
「・・・何よ。」
千里の鋭い声は、知奈の知っている千里のそれでは無かった。
「何よっ、何か言いたいことあるわけ?さっさと言いなさいよ!」
やっぱり、言えないよ、こんなこと――諦めかけたその時、ふいに声が聞こえた気がした。
『頑張って!』
「・・・千里、それは、愛じゃないよ。」
千里は、知奈を睨みつける。
「それは・・・執着だよ。」
千里は何も言わない。
「そんな・・・そんなことの為に、人の心を傷つけるなんて・・・」
再び、知奈は涙を流す。
静かな裏庭。
男と女と女の三角形の中に、もう一度冷たい風が吹いた。
*あとがき*
バレンタインに合わせて書いたモノです。
結構思いつきで書きました。
男の子、意味ないじゃん!と思われる方もいるかもしれません。
しかし、これがあるのです。判って頂けると嬉しいです。
ふみコミュに投稿した際、ストーリー展開無理矢理だと、批評が来ました。
反省してます・・
では。